「エビスコ」とは「エビス子」や「エビス児」で、エビスの子孫という意味を持たせています。
エビスとは大辞林によると、当てられた漢字によって2つの意味に分かれます。
戎・夷のグループと恵比須・恵比寿・夷・戎・蛭子のグループです。
戎・夷はエミシの転だとしています。
@えぞ(蝦夷)@に同じ。
A都から遠く離れた未開の土地の人。
B荒々しい武士。情を解さぬ荒っぽい人。特に、東国の武士を京の人から見て言う語。
C野蛮な外国人。蛮夷(ばんい)。 |
とありました。
ちなみに「えぞ(蝦夷)」を引くと、
@〔アイヌ語のエンジュ・エンチウ(人、の意)からという〕古代に、北関東から東北・北海道にかけて住み、朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々。えみし。えびす。
A「蝦夷地(えぞち)」に同じ。 |
でした。
Aは言わずと知れた北海道のことで「蝦夷地」を引くと
「明治以前、北海道・樺太・千島の総称。特に、北海道の称。蝦夷」
とありました。
エミシには内なる者に対する外なる者という意味がありました。
都人はエミシに、未開の土地の人、情を解さぬ荒っぽい人といった、意味を持たせていたのです。
もう1つの恵比須・恵比寿・夷・戎・蛭子はどうでしょうか。
大辞林にこう書いています。
七福神の一。商売繁盛・福の神として広く信仰される、兵庫県西宮神社の祭神。蛭子(ひるこ)とも、事代主(ことしろぬしの)神ともいわれる。
古くは豊漁の神として漁民に信仰され、また農神としても信仰された。
狩衣(かりぎぬ)・風折り烏帽子(えぼし)姿で右手に釣り竿、左手に鯛(たい)を抱えた神像に描かれる。
夷(えびす)三郎。〔「えびす(戎・夷)」と同源の語。
一般に「恵比須」と書くことが多く、この場合の歴史的仮名遣いは「ゑびす」〕 |
エビスは西宮神社の神だったのです。
それではエミシとエビスはどう関連するのでしょう。
西宮神社はエビス様の総本山ともいわれていますが、大阪の今宮戎神社、京都ゑびす神社を合わせて日本3大ゑびすと呼んでいます。
今宮戎神社のホームページに由来が書かれていました。
それによると左脇に鯛を、右手に釣竿を持っているエビス様はもともと漁業の守り神で、海からの幸をもたらす神を象徴していました。
今宮戎神社の場所も、もとは海岸沿いだったそうです。
また海辺で物資の集まりやすい土地では、海の産物と里の産物、野の産物とが物物交換される市が開かれ、今宮戎神社でも西門に「浜の市」が平安後期には開かれるようになり、その市の守り神としてもエビス様が祀られるようになりました。
その後、市場の隆盛によって商業が発展し、いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになりました。
室町時代以降、庶民の信仰はより厚くなり、また大阪の町も発達し、大阪町人が活躍します。
江戸期になると大阪は商業の町として一層の繁栄を遂げ、今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。
十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせます。
「時代とともに十日戎の祭礼も盛大になってゆきますが、それは古代から大阪の人々が戎さまを親しく崇敬し、親近感のある神様として尊崇した歴史であり、まさしく大阪の庶民生活の積み重ねが十日戎に投影されたもののように思われます」
と結ばれています。
この説明でエビスは漁業の神であり、それが商業の神となり庶民の神になっていったことがよく分かります。
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ところでエビス様は七福神という神様たちの1員になっていますが、あとの6神が外国から来たのに対してエビス様だけが日本独特なのだそうです。
米俵の上に乗って、農業の神様のような大黒天(だいこくてん)、すなわち大黒様は大辞林によると
@〔仏教で〕三宝を守護し戦闘をつかさどった神。(中略)中国・日本では食物の神として寺などの厨房にまつられた。大黒神。
A七福神の一。狩衣に似た服を着て大黒頭巾をかぶり、左肩に大袋を背負い、右手に打ち手の小槌(こづち)を持ち、米俵の上に座る像につくる。
日本では大国主神(おおくにぬしのみこと)と習合し、福徳の神として民間の信仰を集める。 |
とありました。大国主神は「古事記に記された出雲神話の主神」です。
毘沙門天(びしゃもんてん)は
四天王・十二天の一。須弥山中腹の北側に住し、夜叉(やしや)を率いて北方を守護する神。
日本では福や財をもたらす神としても信仰され、七福神の一人とされる。仏法を守護し、福徳を授ける。もとはヒンズー教の神。多聞天。毘沙門。 |
弁天様の弁財天(べんざいてん)は
元来、インドの河神で、音楽・智恵・財物の神として吉祥天とともに広く信仰された女神。仏教にも取り入れられたが、吉祥天と同一視されるようになった。
八本の手で各種の武具を持つ像もあるが、鎌倉時代には二手で琵琶を持つ女神像が一般化した。
日本では七福神の一人として民衆の信仰を集めてきた。弁天。べざいてん。 |
魚の名前にもなっている布袋(ほてい)は
中国、唐末・後梁の禅僧。名は契此(かいし)。
肥えた腹を露出し、日常生活用具を入れた袋を背負い杖(つえ)を持って市中を歩き、人の運命や天候を予知したという。
生前から弥勒の化身といわれた。日本では円満の相が尊ばれ、七福神の一人として信仰されるようになった。生没年未詳。 |
秋田の銘酒にもある福禄寿(ふくろくじゅ)は
| 福禄を授ける神。短身・長頭で経巻を結びつけた杖を持ち、鶴を従える。中国の仙人に由来するといわれる。寿老人(じゆろうじん)との混同がある。福禄人。 |
寿老人(じゅろうじん)は
| 長寿を授ける神。長頭で、鹿を連れ、巻物を先につけた杖(つえ)を持つ。中国宋代の人物の偶像化ともいわれる。福禄寿との混同がある。南極老人。 |
と大辞林は紹介しています。
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神の世界で、エビスは日本独特というなら、エビスは内なる者に対する外なる者というよりも、原日本がエビスそのものだったと言ってもいいように思うのです。
平凡社の世界大百科事典にはエビスについてこう書かれています。
古くこの語は〈えみし〉とともに異民族を意味する通称であった。
《伊呂波字類抄》には夷・蛮・戎・秋・辺の字などをこれに当てており,東北地方の蝦夷(えみし)だけがながく日本に同化せぬ異民として存在したために,〈えびす〉とは蝦夷のごとく解されたこともあった.
しかし《一本定家卿仮名遺》には海辺人を〈えびす〉と読み,異民族に限らず,島や浦辺の辺境に住む人たちをも〈えびす〉と称する用法も併行されていたこと示している。
また中世には武士を〈えびす〉といい,鎌倉武士を京都では東夷(あずまえびす)と称したのは,〈つわもの〉〈ますらお〉〈もののふ〉などの武士を〈えびす〉として辺境者視したもので,これは異民族の俘囚(ふしゅう)や辺境者を武士とした古代の兵制の遺風であろう。(後略)
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「エビスコ」にはその子孫という意味を持たせています。
この日本という島国の源流が「エビス」にあるのです。
人々は野山を駆けめぐり、海に船を浮かべて生活していました。
しかし大陸からの文化が入ってくるに従って、人々は「荒々しい」外の者にされてしまいました。しかしその心意気は高く、生産物によって市ができ、商業の源流にもなりました。
武士政治の時代になって、将軍は朝廷から征夷大将軍という役職をもらいますが、その「夷」はエビスそのものでしょう。
しかし武士自体がそもそもエビスなのです。エビスは武士にとっても商人にとっても内なる者だったのです。
ただ武士には八幡宮など武士らしい神社があります。
その点でエビス様は商業の神様、庶民の神様であり続けました。
すなわち武士の武運を願う神様に対して平和の上に立つ神様だったとも言えるのではないでしょうか。
ちなみに相撲の世界で「エビスコ」とは大食いのことだそうです。
参考までにエビスビール(サッポロ)のHPに掲載されているエビスを紹介させていただきます。
エビス様のストラップ。
いつ、どこからやって来たかはまったく覚えていません。
ほんとに、いつのまにか、私のところにやってきました。 |
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相撲界のエビスコについて
「『縁』を結ぶ日本の寺社参り」(渡辺憲司監修 青春出版社)に相撲界のエビスコについての記述がありました。
その中の「江戸の縁日と寺社参り」によると10月20日には商人は恵比寿、鍛冶が稲荷大明神、大工は聖徳太子、芝居関係者は客人(まろうど)大明神を祀って繁盛を願い、祝宴をひらきました。
商家の恵比須講は1月と10月の2回ありますが、10月の方が規模が大きく親類や顧客を大勢招いて宴会を開きました。
この日は店のものにも酒やご馳走がふるまわれ、川柳に「えびす講だんなのこわくない日なり」と喜んで祝いました。
さて相撲界のエビスコについてですが「力士の中でも大食漢をいうが、酒やご馳走を腹一杯食べた恵比須講を語源としている」とあります。
恵比須講は盆や正月並みににぎやかだったようです。
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